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だいぶ大きく取り上げられていて、
いわゆる“識者”の方々が論じておられるタイトルの問題。

体罰の問題が報道されると、
必ず「昔はもっとあった、だから……」という意見、
「体罰は致しかたない……」という意見、
「体罰にも一定の効果があり……」という意見、
が噴出します。

そして、今回の場合は日野氏のミュージシャンとしての
業績、経験、立ち位置なんかが加味されて事態はさらにややこしやといった感じです。

「あれほどのミュージシャンが怒髪天なら、
中学坊主がきっと何かやらかしたに違いない」って感じです。

……。

……。

何かがおかしい……。

体罰なんて暴力に他ならないわけで、
問題の解決を暴力に頼っている時点で、
大人たちが日々偉そうに子供たちに垂れているご高説は
瓦解するってわけです。

ノスタルジーに彩られた「俺たちが小さい頃は先生からもっとぶっ飛ばされたもんだ」とか、
権威にビビッて「あれほどの人が手を上げるのには理由があるんだよ」とか、
子供にビビッて「言うことを聞かせるときに、時には手を上げることも致し方ない」とか。

↑、これ全部バカかよって話です。

暴力なんて基本的にはその場で権力を持っている奴から、
そうではない方に流れるわけで。

暴力にどんな理由をつけて正当化しようとしても、
そんなもんは詭弁です。

 

確かに正直なところ、私も私自身が子供を持つ前は、
体罰も一定の効果があるかも、と↑のような感じで考えていました。

その昔に体罰を受けていた側の私が体罰を肯定する意識に囚われていたというのも
よく考えると滑稽な話です。

でも、子供ができてからは、
自分の子供がそんな暴力にさらされるのはまっぴらご免です。

暴力なんて縦にしても横にしても斜めにしても、
理不尽の塊なわけで、子供たちがそんなものの威力を喰らうのはイヤです。

 

私はジャズは詳しくないので、日野氏の業績はまったく存じませんが、
暴力とその業績は全然リンクしないですし、
そもそもリンクさせちゃいけないことだと思います。

だったら、ノーベル賞取った人はどんな暴力も許されて、
受勲した人がブチ切れて子供に手を上げても仕方ないって、
そんな話しになるのが、キモい。

 

とにかく。

いい加減。

体罰は暴力。

暴力は言語で解決することの放棄。

暴力は理不尽。

暴力は強い方から弱い方に使われる。

ってことでOKだと思うのに、なぜ議論の余地があるのか不明なわけです。

 

てか、大人が大人をビンタして、首を締めたら、
あっさり捕まるか、訴えられるのに、
大人→子供の構図だと「体罰」って言葉に姿を変えて、
議論し始めるのはなぜなのか。

やっぱり相当におかしいと思うわけであります。

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