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乳児、幼児、学童の3人の子供がいるわが家。

それぞれの子供が持っている「寂しさ」はまさに三者三様です。

 

乳児の子は母親に対して寂しがります。

まだ私や兄、姉に対して寂しがるということはあまりありません。
赤子として生き抜くために母を恋しがるという本能と直結しているのだと思います。

 

幼児の女の子は朝起きる時と寝る時に寂しがります。

どちらの時も甘えてきて、抱っこして寝室から出してあげたり連れて行ったり。
忙しい時についその抱っこを外すと、しばらくへそを曲げるのでちょっと厄介。

一方、私同様に忙しい妻は
起床と就寝の時に毎回決まった「儀式」をしてあげることで
娘の「寂しさ」に対応してあげています。

 

学童の小3坊主はとにかく学校や学童保育、習い事、外遊びなどの
様々なアクティビティーの話をしたい時に寂しがります。

私や妻が中々話を聞いてあげられない時に、
すこし拗ね気味で寂しそうです。

 

成長の過程においても、それぞれの子においても、
様々な「寂しさ」があるわけで。

それにどのように寄り添ってあげられるかが、
子育ての真骨頂で真髄なのではないかと思います。

ちょっと大げさのような書き方ではありますが、
結構真面目にそう思っているわけです。

 

子供には子供ごとに寂しさがあり、
それを丁寧に拾ってあげたり、
気付いてあげたり、話してあげたり、
儀式を見つけてあげたり、
そういったことが必要なはずです。

 

でも、やっぱり子育て中はその他いろいろあり過ぎて、
時間的な余裕も気持ち的な余裕も持つことは難しいかもしれません。

というわけで。

ワーキングマザーとして日々時間に追われている妻が発見したのは、
前述した「儀式」。

どんなに忙しくても数分間、その「儀式」をしっかりとこなしてあげれば、
子供の気持ちもだいぶ楽になるようです。

もちろん儀式って言っても、
護摩壇の前で祈祷するとかそういったものではありません。
(って当たり前だ)

向かい合って自分の足の甲に娘の足を置かせて歩く「ペンギンちゃん」とか、
夜枕元のぬいぐるみでちょっとだけ一緒に遊んであげるとか、
そういった他愛もないものです。

でも、これがあるかないかで大きく違うわけです。

 

三人育児中で共働きのわが家では、
子供たちそれぞれの寂しさに対応するのは、
正直なところ時間的に難しい部分もあります。

でも、私や妻以外にも、乳児の寂しさを兄と姉が何とかしてあげようとしたり、
幼児の寂しさを兄が何とかしてあげようとしたり、
家族総出で何とか対応中です(なかなか難しい時の方が多いけど……)。

 

で。

私、いつも思うんです。

もしもこの子たちの「寂しさ」を気づかず、拾ってあげられず、
寄り添ってあげられなかったら、どうなっちゃうんだろうと。

気が付かぬまま、子供たちを成長させたくないなと。

子供たちの「今」は今しかないわけで。

こんなに面白い「今」に親としてちゃんと対応したい。

と思います。

 

子供たちが大きくなっちゃったら、
もう抱っこしたくてもできないしね。

「寂しさ」だって、
その子の恋人や伴侶といったこれから築くだろう家族に
寄り添ってもらうんだろうし。

 

つまりはホントに「今」しかない、と思うわけで、
ちょっと大変だけど、ちゃんとしないとモッタイナイ!

てか、後悔しちゃいそうだぜ。

と思う親父なのでした。

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