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私には常々よくわからないことがあります。

それがどうしてオリンピックとパラリンピックを分けるのかということ。

分け隔てのない社会を。
というスローガンをよく聞きますが、だったらどうして分けちゃうの?

本当に垣根ない状態をつくりたいなら、同じフィールドでやればいいじゃん、
って思うわけであります。

もしも車イスのアスリートが100メートルを楽勝に10秒切るな
それはそれでいいわけで。
何をどうしても車イスではその競技の本戦に出場できないなら、
それはそれで仕方のないことだと思うわけです。

自由形って種目があって、
無差別級って種目があるのに、
どうして分けなくちゃいけないのでしょうか。

↑これ、私は本当にわからないから誰か教えて欲しいのです。

だいたいそもそも男女平等とか言いながら、
男女で競技を分けていて、

偏見のない社会をと言いながら、
オリンピックとパラリンピックがあるわけです。

そんなに分けたいなら、人種で分ければいいし、
民族で分ければいいし、国で分ければいい。

短距離の世界種目はたいてい黒人アスリートが大勢を占めているんだから、
そんなんだったら肌の色ごとに競技を分ければいいじゃん。

アスリートの強化費用を捻出することができる国がある一方、
裸足で土のグラウンドで修練を積むしかない国があるなら、
GDPで競技を分ければいい。

そうしないのにオリンピックとパラリンピックを分けるのはなぜなのか。
合理的、かつ論理的なわかりやすい理由ってあるんかな?

パラリンピックは身体になにがしかのサポートを施しているから、
何もサポートのないオリンピックとは馴染まないって言うんなら、
オリンピックに出場しているアスリートでコンタクトレンズを付けている人はいないの?

ブライドサッカーをアイマスクした人と視覚障害の人が一緒に競ったっていいわけで。
義肢の人が100メートルを8秒で走ったっていいわけです。

人類のスポーツの祭典なら、
人類がその競技で到達する最高の地点を知りたいわけで、
そこに肌の色も、国籍も、性別も、障害の有無も、年齢も、
私は関係がないと思うのです。

だから。
私は現状のパラリンピックは‥‥、
どっかのバカなTV局が年に一回
24時間障害者の人が可哀想チャリティーを行なっているのと、
大差ない気がするわけであります。

ということで、
私はぜーんぶひっくるめたスポーツの祭典が見たい。

なんだかよくわからない分け方をしているのは超疑問符です。
人間の肉体と脳みそが、到達する最高地点を競うのがスポーツなら、
およそすべての「分け方」が邪魔になると思うのは、

私だけなのでしょうか??

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