Pocket

今日の夕飯で。

私、すごい発見しちゃいました。

よく「おふくろの味、おふくろの味」なんて言いますが、
そんなものははっきり言って全然重要じゃない、ってことに。

「ぼかぁ、やっぱりお母さんの味がサイコーだなー」なんて言う奴は、
ほぼマザコンのキモ野郎です。
一生、ママのオッパイ飲んでろよ。

……。

……。

なんてヒドイことは全然思ってないんですが……、

それはそれとして、
やっぱりおふくろの味は全然重要じゃないんじゃね?
なんて思うわけであります。

 

と、言いますのも。

本日の夕飯は育休復帰後で仕事が大変な妻が
毎週頼んでいる生協さんから届いたものに
パパッと手を加えたもの。

その中に子供たちも私も大好きなコロッケがありました。

でも、それ。

別に妻がポテトをマッシュしたわけでもなく、
卵を溶いて、パン粉をつけたわけでも、
ひき肉や玉ねぎを炒めたわけでもない、
生協さんのコロッケ。

 

いわゆるでき合いです。

 

 

ただ。これが滅法うまいわけです。

妻の揚げ方もさることながら、そもそもなぜなのだろうと。

 

 

 

つまり。

「手づくり=おふくろの味」が重要ってわけじゃない

ってこと。

 

要するに重要なのはその料理に付随する思い出だったり、

時間の掛け方だったり、

誰と食べたとか、

何を話したとか、

そういったことが重要だと思ったわけです。

 

そりゃあ、磯野家のフネやサザエのように昼過ぎから、
今日の献立を悩み、買い出しに行って、
夕方からコトコトと出汁を取って……、

なんてできればそれはそれで素敵でしょうが、

決してそれが一番大切ではないってこと。

別に出来合いのコロッケをササッと揚げて、
家族みんなでワイワイ言いながらソースをジャブジャブかけて、
今日あったことを話して、笑って、
なんてことが一番重要なんだなあ、と実感したわけであります。

 

で。

何が言いたいのかと申しますと、

日本のお母さんは「おふくろの味」にこだわり過ぎかなと。

手づくり至上主義と言いますか。

別にそれはそれで素敵ですが、

そうでなくても子は育ちますし、

夫は満足なのであります。

ということで。

私はここで提唱したい。

「おふくろの味」は全然重要じゃないと。

……。

……。

って、まあ異論は認めますが、私はそう思うわけであります。

 

Pocket