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最近、過去をやり直したいという言葉を聞きました。

聞けば、帰宅部だった高校の頃をやり直したいとのこと。

……「3年B組で帰宅部だったデブオタが過去に戻って超絶リア充振り切れて泣けた話」的な?

ラノベな妄想?

マジあほらし……。

 

んでもって、やり直して何をやりたいのかは知りませんが、
超絶個人的な感想としては、実に愚かしいなあという感じです。

たぶんそんなマインドだったら、例えSFがホントで過去に戻れたとしても、
恐らく同じことの繰り返しです。

 

……それはなぜか?

 

それは、「現在」に感謝していないから。

 

つまり連綿と続いてきた過去があるからこその自分があり、
そのことに感謝していないから、そんな風に思うんじゃないのかなあと。

 

 

私。

自分の子供が生まれてきた時に、
「いろいろあったけど、全部間違いじゃなかった。
この子と会うためにいろいろあったんだ」
と思いました。

それは三人子供たちと初めて会うたびに毎回そう確信しました。

私の過去の一分一秒、何万分の一秒も、
こいつらと会うためにあったのかもしれないと思ったら、
「過去」に感謝する気持ちしか生まれませんでした。

 

私は妻と出会うために過去があり、
その妻と出会った過去があるからこそ、
愛おしい三人の子供たちと出会え、
その三人の子供たちと出会った今が過去になる頃には、
きっと三人の子供たちは巣立ち、出会い、産み、育て、生活している、わけです。

 

だから。

私は自分の過去を一切否定したくないし、
もしかしたら誤っていたかもしれない選択すらも、
妻や子供たちと会うために必要だったトリガーなのではないかと思うわけです。

 

過去をやり直したいと安易に言う人は、
たぶん自分にも周りにも感謝していないんではないか。

私はそれは愚かな考えだと思うわけです。

 

てかそんな奴は嫌いだ。

 

もしも今が相当苦しいものだったとしても、
過去をやり直したい、は残念ながら絶対にあり得ない。

過去は自分で操作できない。

自分で操作できるのは未来だけ。

ちょっとアホみたいなポジティブシンキング風に聞こえるかもしれないけど、
たぶんこれが真実だと思うわけです。

 

というわけで。

私は過去ああしたらよかった、こうしたらよかったという話が大嫌いです。

今ある自分が好きじゃない奴は無理ってことです。

でも。

逆に過去が好きで誇りに思っている人は話していて楽しい。

そんな人は周りにもとても謙虚だったりします。

たぶん「人生」を正しく取り扱える人はそういう人なんだと思うわけであります。

 

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