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「教育勅語」とか。

「道徳教育」とか。

そういったものに頼って、ホントに

  • おとーさん、おかーさんを大切にしよー
  • お年寄りを大切にしよー
  • お友達と仲良くしよー

なんてうまくいくとでも思っているなら、
かなりおめでたいと思うわけです。

てかバカ?

 

私は常々学校教育に頼った道徳教育なんて無理、と思っています。
(以前の記事「【小学校】学校だけで道徳教育は無理」)

はっきり言って、どんな学校にだって(保育園にだって)、
大なり小なりの仲間外れやイジメは存在するんです。

道徳教育がうまくいってたら、そんなのないはずじゃないの?

で。

さらには「教育勅語」を復活させて、
そんな陰惨なイジメとか仲間外れが根絶するならいいけど、
ホントにそう思っているなら、やっぱりアホとしか言いようがないわけです。

「教育勅語」の戦前の子供たちはみんな仲良くしてたのか?

いじめはなかったのか?

そんなわけあるかい!ってなもんです。

 

私は「道徳教育」も「教育勅語」も何らかの「機能」でしかないと思っています。

国が何らかの効果を期待する「機能」。

それ以上でも以下でもない。

つまり、「道徳教育」も「教育勅語」も、
別にいい子を育み、優しさと思いやりに満ちた社会をつくるため、
ってことが目的なわけではないってことです。

私自身は右のアホでも、左のバカでもないので、
その「機能」も効果も目的も、
はっきり言ってどうでもいいわけですが……。

こと自分の子供も関わることになるんだったら、
本気で考えますよ。

 

私は自分の子供たちが自分の頭で考えて、
自分よりも弱い立場の人や、困っている人に
思いやりを持って手を差し伸べてあげてほしいと、
本気で思っています。

でも、それを「道徳教育」にも「教育勅語」にも
丸投げする気はサラサラありません。

それをやるなら「家庭」でしょ、って話です。

 

学校教育なんて所詮は「国家の思惑」です。

その「思惑」を実現させるために、あるわけで。

その辺の「思惑」と各ご家庭が子供たちに望む「思い」が
ある程度シンクロしている分にはいいんですが。

そもそも行きつく先の「目的」が違うわけで。

その辺をはき違えて、頭がマイルドにパーになると、
「道徳教育」の強化やら、「教育勅語」の復活やらで、
子供たちがいい子になるなんて勘違いの議論が進むわけです。

 

つまり。

子供たちにホントのやさしさを知ってもらうためには、
「家庭」や「保護者」が、正しく「機能」せにゃ無理ってことです。

「家庭」や「保護者」が頭をフルに働かせて考えろ!
学校教育や道徳教育や、ましてや戦前の古臭い概念をひっぱり出してきて、
丸投げする事なかれ!と強く考えるものであります。

 

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