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「○○力」という言葉が嫌いです。

ここ10数年、何かっつーと「○○力」。

「力」さえつければ、なんか適当にそれっぽい言葉になるわけで。

わかったような、わからないような、
だから結局その「○○力」っていったい何なのと。

まさに安易で耳にタコなキャッチコピーなわけで、
いまだに広告などで「○○力」って言葉を見ると、
コピーライターのギャラをケチったのかな、なんて思うわけです。

で。

その「○○力」という言葉の中でも特に嫌いなのが「女子力」。

そもそもいい歳こいた女性が「女子、女子」言うのが何だかキモい。

あんたのどの面さげて「女子」なのかと。

実年齢の具体的なにおいを希釈して、
チープな「かわいらしさ」を付加して、
母、主婦、働く女性といった具体的な属性を除いた仲間意識をつくり出し、
チーンとできあがったのが、
つまり「女子」という言葉なのではないかと思うわけであります。

そして、その言葉が「力」と結びついた時に、
天下無敵の意味不明「女子力」が現れてくるわけで、
嫌いな言葉の二乗と言いますか、
要するに立ったまま吐けるぜって感じなわけです。

 

さて、その「女子力」。

私が嫌いかどうかは別にして、
その「力」がいいものか悪いものなのかは、
どう評価していいか若干謎。

女性自身が「女子力」云々と言う時は、
たいてい肯定的にとらえられているような気がします。

が。

私はここでその「女子力」の中の
「群れる」という部分にスポットを当てたいわけです。

お前の思い込みだと言われ、多くの女性から敵視されたとしても、
私は「女子力」とは「群れる」「グループをつくる」、
つまり「排他的な小集団」をつくる能力に
長けているのではないかと思っているわけです。

 

保育園でも、
小学校でも、
中学校でも、高校でも、大学でも、サークルでも、
職場でも、
ママ友グループでも、
PTAでも、
大人のサークルでも、
母から聞いた老齢の方々の集まりでも、
本っっっっっっっ気でどっっっっっこでも、
「女子力」は「排他的な小集団」をつくっているように思います。

これは私の思い込みではない気がするんですが、いかがでしょうか。

保育園の娘からそういった話をすでに聞きますし、
妻からもこれまでの人生でそういったことが山ほどあったことを聞きますし、
本気でいい歳こいた母からも帰省のたびにそういったことにウンザリしていると聞きます。

これ。

ここまで本気で全年齢で「女子力」が発動されているのなら、
これはもう倫理観とか道徳とか、良識とか、
そういった後天的な要素が立ち入ることのできない、
生物学的と言いますか、本能的と言いますか、
そういったことが原因となっている何かなのかと疑ってしまうわけです。

 

私は別に実害がない分には、どこで群れようが、
一緒に便所に行こうが、弁当を一緒に広げてようが、
何をしようが一向に構わないわけです。

けどね。

自分の大切な家族がそういった「群れる女子力」に
実害を蒙るのは勘弁なりません。

特にまだ小さい娘がそういったことで悩む姿が本当にかわいそうです。

本気で腹が立つ。許せない。

毎日毎日一生懸命頑張っている女性が、
アホMAX、ヘドロ臭プンプン、ジュクジュクの膿みたいな
「群れる女子力」の被害を蒙るのは絶対に嫌なわけです。

 

 

じゃあ、どうすればいいのかと。

私は本気で悩んでしまうわけです。

平安文学の中にもあるくらい古くからあり、
今でも全世代の女性の生活の中に存在する「群れる女子力」に
一介のおっさんが対抗する術を持っているのかと。

四六時中、自分の大切な女性たちがそういったことに巻き込まれないよう、
監視することもできないわけですし……。

私は本気で無力を実感してしまうわけです。

ただそんなくだらない馬鹿げたことにめげない基本的な考え方と、
もしも実害を蒙って落ち込んでしまっている時なんかに、
そばにいて励ましてあげる、といった対処療法的なことしかできないわけです。

 

というわけで。

「女子力」という言葉をどれだけ嫌おうが、
使わなかろうが、たぶん結局「群れる」という行為はなくならないわけで。

つまり「群れる女子力」に対抗するべき力とは、
「鈍感力」とか「無視力」なんじゃないかと思うわけです。

……。

……。

結局、「○○力」に助けを求めてしまった……。

 

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