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赤ちゃんのお世話子育てって、一体全体誰の何のためのものなのか?

 

武士の世の中なら「お家のため」。

かつての農民の家なら「働き手のため」。

70年ちょっと前なら「お国のため」。

その後の昭和なら「人並みのため」。

平成なら「少子化のため」。

って感じでしょうか。(適当だけど……)

 

で。

どれもホントなんでしょうし、ちょっと変なんでしょうが、
よーするになんだこうだとこねくり回したところで、
「子育て」というものの登場人物を極限までそぎ落とせば、
結局のところ、「親」と「子」になるわけです。

このアホほど当たり前のことが、
歴史的には忘れられていたり、
その環境が忘れさせていたりしたわけで、
「親」と「子」以外の何かを登場させて、
まことしやかに「子育て」を論じるような世の中と時代に生まれなくて、
私はホントラッキーだと思うわけであります。

 

別に国ためでもお家のためでも少子化のためでも、
そんなもんで「子育て」なんてやってるわけじゃねーし。

余計なもんをくっつけて、
事を面倒くさくしてんじゃねーよって話なわけです。

 

さて。

実は↑のように文句を言うのが、
今回の目的なわけじゃありません。

で、何が目的なのかと申しますと。

じゃあ、子育てって「親」と「子」のどっちのためのものなの?
っつー余計話をややこしくすることなわけであります。

 

言葉をみりゃあ、「子育て」なわけで。

そんなもんは「子」のために決まってるだろ、
と仰る方も多くいらっしゃるかもしれません。

 

確かにスゲーもっともな話ですが、じゃあ、「育て」の部分は、
誰がやるかと考えると、それは「親」なわけです。

 

で、頭がシンプルな「いい人」は、
「そうよ!『子育て』は親子のためのものよ♡
親子で『子育て』を楽しみましょう♡♡♡」的な感じで大はしゃぎしそうですが、
そうは問屋が卸さない。

ってか、私はその考え方があまり好きではないです。

 

私は「子育て」とは親のためにあっていいものだと思うわけです。

別に「子」を蔑ろにするとか、
「親子で一緒に」を頭から否定するわけじゃありませんが、
まず親本人が自分を大切にするところから始めるものなんじゃないのかと。

つまり、自分のための「子育て」、親本人のための「子育て」を考えたって、
罰は当たんねーだろと思うわけであります。

 

親本人が幸せで
楽しくて自分自身を大切にしていて、
決して「子」のために自分を犠牲にしているわけじゃない
ってことが重要なんじゃないのかと思います。

その先にある「子育て」の方が自然な気がします。

 

親が幸せで楽しくあることを追求することが
最も「子育て」で重要なわけで。

そうでなくては、「子」を「幸せ」で「楽しく」て「うれしく」育てることは
難しいのではないのかと思うわけです。

 

というわけで。

子育てはまずは「親」のためにあるべきだと私は考えます。

「親」が疲弊していて笑えなければ、「子」が笑えるはずはないし、
「親」は「親」で自分の幸せをしっかりと追及していなくちゃ、
「子」だけが獲得できる幸せなんてないのではないのかと考えるわけです。

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今回、このことを考えるきっかけになったエピソードは今朝ある親子を見たから。

お母さんがずっと自分の子供を罵倒して小突いて歩いていたんです。

「どうしてあなたは私の言ったとおりにしないのですか!」とか、
「あなたは私を怒らせるのですか?」みたいな感じで。

そのお母さんにはそのお母さんの「子育て」があるんでしょうが、
あまりにも見るに堪えませんでした。

「子育て」って誰の何ためのものなのか?

って考えてしまったというわけです。

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