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たまに娘のことをブログなどでご紹介する時、
「あ~、俺って親バカだなぁ」と
思うことがあります。

で、さらにヒートアップする自分を見つめて
「あ~、俺ってもしかしてバカ親かなぁ」なんて
自虐的に思いを改めることも。

「親バカ」と言うと、
子供への愛情が目下増量中ということで、
若干の情状酌量の余地がある響きになるにもかかわらず、
「バカ親」になった瞬間から、
ファミレスでどんちゃん騒ぎする
マイルドヤンキーの親たちを
想像してしまうことにもなり、
そこにはもはや斟酌の余地はありません。

この「親バカ」と「バカ親」は
どの辺に境界があり、
つまりはどこまでが許されて
どこからが許されないものなのか?

 

ということを考えると、
その境界とはただ一つなのではないかと思い至りました。

要するに「人様に迷惑をかけているのか、いないのか」。

その主語は親でも子でも構わないと思います。

そこに存在する親子が
人様に迷惑をかける存在か否か、
それがつまり「親バカ」と「バカ親」を
峻別する境界なのではないかと思うわけです。

 

社会の中で生きている以上、
他者との関わりを除いて
生きていくことは不可能です。

自分(もしくは自分の家族)のルール以外で、
社会は動いているわけで、
その中でどのように生きていくかが重要。

なので、人様がいるところで、
自分ちのルールを炸裂させる親子というのは、
それが幼児だろうが成人した子供だろうが、
「バカ親とバカ親子ということでOK」
ということになると思います。

 

と。

なぜにこんなことを考えたのかというと、
昨今の芸能人2世タレントの犯罪報道と
その親の謝罪会見の報道を見たからです。

もう何もかもが崩壊している
バカ親子の図をまざまざと見せつけられて、
ゲンナリしたからなのでした。

バカ2世が性的な依存症だろうから、
その点を汲むべきとか。

親は関係ないのに謝罪させる日本社会はどうなのとか。

子供の性癖まで会見で聞かれた親に
同情票が集まったりとか。

もう振り切れるほどバカなの?って感じです。

親は「親バカキャラ」で笑いを取り、
子は「バカ2世キャラ」で仕事を獲得し、
そういう親子のブランディングの成果が
現在の状況であり、彼らの食い扶持というわけです。

その時点では、
誰に対しても迷惑をかけない芸としての
「親バカ」であったわけで、
まあいいと思います。
(全然興味はないですが)

が、そこに犯罪という被害者の方と
社会に多大なる影響を及ぼすことが起こった時、
もはやそんな言葉では
片づかないものになってしまいます。

芸としての「親バカ」で食ってきたバカ親子なら、
刑に服すなり、謝罪会見を開くなりして、
始末をつけるのは当然のことだと思います。

 

一部の意見で、
犯罪の加害者家族に
社会的な制裁を加えることはいけない、
というものがあります。

今回の親の謝罪会見を受けての発言です。

この点においては、その通りだと思います。

今現在の日本社会では相当難しいことでしょうが、
加害者と加害者家族は厳然と分けて考えられるべきであり、
加害者家族に対する社会的な制裁というものは
私刑に他ならないと思っています。

が、今回のこの一件は、性質はまったく違うものです。

親バカと二世バカのキャラクターといった
相互依存で業界を渡り歩いてきたバカ親子の
相応の始末なのではないかと思うわけです。

つまり、
一般の人間とメディアでネタにしてきた芸能人とは、
分けて考えるべきなのではないかと思います。

 

甘っちょろい相互依存のバカ親子のお蔭で、
心を殺される犯罪被害にあわれた方を
どのように報道やメディアの過熱から守るか、
ということこそが慮られるべきであり、
バカ親とバカな子供の行く末など
はっきり言ってどうでもいいとすら
思ってしまうわけです。

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