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映画が幼稚園の頃から好きです。

なので、今回の自分史では、
私の思い出に「映画館」という横串を刺してみました。

 

幼稚園時代の映画館

幼稚園の頃、
親父が頻繁に映画館に連れて行ってくれました。

私の映画好きは親父譲りです。

ただ、親父はコチコチの堅物の硬派。

もちろん「東映まんがまつり
(当時、映画会社の東映が
夏休みなどに行っていたアニメや特撮を
パッケージ的に詰め込んだもの)」にも
連れて行ってもらいましたが、
それよりも大人向けの映画に
多く連れて行かれました。

寅さんシリーズは
かなりの本数を劇場公開で観ていますし、
黒澤明監督の「天国と地獄」や
「用心棒」はリバイバルで、
「影武者」は封切りで観ています。

幼稚園児に「天国と地獄」とか、
小1に「影武者」なんて
いったい何を考えているのか、
かなりの疑問ですが、
私自身なぜか興味深く観ていました。

映画に連れて行ってもらえる時には、
ジーンズ地のバッグを持たされて、
その中にハンカチと飴玉を入れてもらって、
バスに乗って出かけていました。

今でもそのバッグに付いていたアップリケ(死語ですね~)の
キャラクターを憶えています。

 

当時の映画館事情(田舎の場合)

今、映画館と言えば
「シネコン(シネマコンプレックス)」が
大勢を占めていますが、
当時の田舎の映画館も「シネコン」的なものでした。

だいたい2階は邦画、3階は洋画、
4階はピンク映画(死語第2弾。
いわゆるHな映画をこう言っていました)
なんて感じで分けられていました。

お正月など公開映画の本数が多い時、
急遽ピンク映画のスクリーンで
普通の映画が上映される、
なんてこともありました。

小学生の私が「男はつらいよ」を
親父と観にいった時、
なぜかピンク色の廊下と階段を歩き、
もぎり(死語第3弾。
映画の半券を切ってくれる係)のお姉さんと
顔を合わせないで済む
謎の受付をくぐったのを憶えています。

子供心にも怪しさ満点。

親父の苦笑する顔を見て、
「はは~ん。いつも女の人の裸のポスターを
やっているところだな」と勘付いた点で、
なかなか鋭いガキでした。

 

当時の映画館は特に家族向け、子供向けで
アホみたいに観客を入れ込むので、
通路に座っている人や
後ろに立っている立ち見客が結構いました。

子供たちがスクリーンの前を走り、
映写機の光に手が届く子供は
自分の影をスクリーンに映し込み、
通路ではお母さんが子供たちにお弁当を開き、
上映中でも席を立って
トイレに行く親子のせいで
スクリーンには黒い影が映り込み、
今考えるとかなりガサついた雰囲気でした。

 

出てくると夕方

当時は映画と言えば、二本立てが主流。

たいていはA面、B面的な感じの二本立てなんですが
(死語第4弾。A面、B面はレコードから来ていて、
「A面」は主流、「B面」はオマケといった意味合いで使います)、
田舎の映画館では
たまに二本ともA面なんてお得な場合も結構ありました。

で、陽が高いうちに映画館に入ると、
観終わって出てくる時は夕方。

どっぷりと映画の世界に浸かって
時間が経つのも忘れているので、
不思議な時間旅行をしたような錯覚を覚えました。

 

潰れた映画館と足りない単位

私が生まれる前から映画は、
テレビに押されて斜陽産業なんて言われていました。

ということで、
時代の趨勢によりで私の住む田舎町でも
映画館が潰れることになります。

ちょうど中学生の時のことでした。

私は高校に進学したら、
高校の近くにあるその映画館に
入り浸ってやろうと計画していたので、
相当がっかりしてしまいました。

お蔭で高校生の間、
高速バスで片道1時間半と1000円をかけて、
県庁所在地まで行き、
映画を観る羽目になってしまいます。

つまり3時間と2000円が毎回飛んでいくわけで、
高校生には結構キツイものでした。

バイト代はその費用に充てられ、
時間の捻出は学校をサボるしかなくなり、
お蔭で出席日数が足りなくなり、
卒業がかなり危ないことになりました。
(で、担任に泣きついてどうにかしてもらうのですが……)

 

映画館をつくる会という
市民活動にインタビューするも……

で、結局私が大学に進学しても、
地元には映画館が再建されませんでした。

ですが、たまに市民ホールなんかで
「ローマの休日」をやったりしていて、
その運営をしているのが、
「映画館をつくる会」という市民団体でした。

その後、大学で社会学を専攻し、
市民活動を取材するフィールドワークのレポートが
課せられた時、
郷里のその活動が真っ先に思いつきました。

なので、実家に帰省するタイミングで、
その団体にアポを取り、
取材をさせてもらうことにしました。

ところが……。

私はてっきりそんな殊勝な大学生を
好意的に迎えてくれると思っていたのですが……。

いざその団体の事務所を訪ねると、
雑居ビルの西日の差し込む一室で、
まったく盛り上がらない時間を過ごすことになるわけです。

数人いる団体のおじさんとおばさんたちは、
一様に無口。で、暗い……。

あらかじめ用意してきた質問も
「はい」「いいえ」「そういうわけでは……」なんていう
一言、二言で返されるので、
まったくレポートを書くための分量になりません。

最終手段で映画愛を語り、
共感を得ようとするも……。

「私、映画が大好きなんです!
だからこちらの会が私の故郷で活動されているのがうれしくて」
なんて言ってみたのですが、
「はぁ」で返されるという暖簾に腕押し、糠に釘。

居たたまれなくなって、
粗い印刷の会報を何部かいただいて、
退散することになってしまいました。

もちろんレポートの取材には
まったく足りませんので、
確かその成績はあまりよくなかったように記憶しています。

……、いったいあの暗さは何だったんだろうか、いまだに謎です。

その後、故郷の映画館は、
その市民活動とはまったく関係ないところで、
大型ショッピングモールに付随するシネコンとして復活し、
今に至ります。


 

なんて感じが「映画館」で
横串を刺した思い出です。

当時のあの映画館の
雰囲気は独特のものがありました。

私にとって映画は
ちょっとした旅行のようなものだった気がします。

映画館に入って別の世界に旅行する、
そんな雰囲気です。

映画にとっても、観客にとっても、
今のシネコンの方が100万倍快適なわけですが、
あの怪しげな雰囲気も、
それはそれで趣があったな、なんて思うわけです。

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