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子供の頃の私にとって、
親父の存在は結構難物でした。

取扱いに困るというか、
どう接すればいいのか悩むというか、
まあ要するにそんな関係です。

親父は堅物でもあり、
男子厨房に入らずを
地で行っているようなタイプ。

なので、ごくたまに母が家にいない時などは、
必然的にそんな親父と外食になるわけで……。

「やった~、今日は外食だね」
という気持ちには
さらさらなれない重い気分。

つまり難物で堅物と一緒に
外食に行くとどうなるのか?

何か店で気に食わないことがあると、
導火線に着火。

で、その導火線は
異様に短いのですぐに爆発!

店の中で怒り出し、
一緒にいる小学生の私は
本当に居たたまれない気持ちになったものです。

もう新手の苦行かよって感じでした。

 

ということで、親父と外食に行った思い出をいくつか。

 

カレー屋にて

当時、何倍カレーなんてのが、
結構流行っていました。

10倍、20倍、50倍なんて感じで
カレーの辛さを競い合っていたわけで、
そんなカレー屋に親父と行った時のこと。

大の辛党の親父は、
メニューを見るやいなや、
その店で最高の辛さの50倍を要求しました。

そして、若い女性の店員さんが、
「こちらのカレーは50倍になりますが、よろしいですか?」
と聞いてしまったわけです。

ま、フツーのやり取りですよね。

でも、この辺で小学生の私は嫌な予感がしました。
余計なことを聞くなよ、と。

よく考えれば普通のコミュ力があれば
「いやぁ、そんなに辛いんですか?
でも試してみようかな?」くらいの
愛嬌のある切り返しも可能かもしれませんが、
相手は昭和の堅物。

自分のオーダーに水を差されたと思い込み、
すでに導火線に火が点く勢いです。

で、その店員さんは止せばいいのに、
「とても辛くて全部食べられない方も
いらっしゃるんですよ笑」
なんて畳みかけてくるわけです。

オワタ……orz。

「そんなことは聞いていない!
いいから持ってきなさい!!!!!!」
ドカーン!!

狭い店内に響き渡る怒声。

他のお客が振り返り、
厨房からご主人が覗くくらいの炸裂っぷり。

その後、半泣きになった女給さんが
持ってきたカレーの味を
私はまったく分かりませんでした。

針のムシロで食事するはめになった私は、
カレーでも喉を通らないことがあるんだなあ、
なんて思いましたとさ……。

 

行楽地の食堂にて

今でこそ行楽地の食堂も
それぞれが趣向を凝らして、
ご当地のうまいものを提供してくれますが、
当時の行楽地の食堂は
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に
出てきそうな感じのものばかりでした。

で、問題なのは、
たぶん近所のおばちゃんが
やっているような雰囲気の食堂の場合。

接客が二の次というパターンですね。

そんな場合、
平気でオーダーの順番が入れ替わったりして、
それでエクスキューズがないわけです。

この辺で小学生の私はドキドキMax。

で、後から来たお客さんのメニューが
別のものだったら、
順番が入れ替わっても
多少は余裕もあるのですが、
万が一にもそのメニューが同じだった日には……。

ドカーン!!

ここでキレられると最悪なのは、
先にそのメニューを
食べているご家族も
非常にバツの悪い思いをされるわけで……。

マジで何を食べているのか分からない
針のムシロで食事をする羽目になるのでした。

たまに怒りが炸裂しすぎて、
そんな食堂を後にする、
なんてこともありました。

でも、すきっ腹を抱えて次の食堂を探す方が、
喉を通らない食事するよりもまだマシなので、
逆にありがたかったです。

 

ラーメン屋にて

何気なく普通のラーメンを頼むと怒られました。

「好きなものを頼みなさい!!!」

ドカーン!!

……。

遠慮でもしていると
思い込んでいるようでした。

でも、私、アクロバティックなラーメンよりも、
普通の中華そばが好きなんです。

だから別に普通のラーメンがいいのに、
何を勘違いしているのかすごく不機嫌になって、
怒られました。

なので、
しょうがなく別に食べたくもない
ゴテゴテとしたトッピングをするのでした。

 

蕎麦屋にて

私の郷里、新潟の蕎麦と言えば、へぎ蕎麦です。
(へぎ蕎麦は「へぎ」という容器に一口大に蕎麦を盛り、
つなぎに「布海苔(ふのり)」という海藻を使っています)

親父との外食で唯一私がうれしかったのは、
このへぎ蕎麦を食べに行く時でした。

なぜか蕎麦屋では親父の導火線に火が点くこともなく、
安心して食べることができました。

そんなへぎ蕎麦は親父の大好物でもありますので、
新潟県内で名だたる老舗に
かなり連れて行ってもらいました。

ただ、堅物親父の大好物ということは、
そのへぎ蕎麦について
一家言持っているということです。

小学生としては、その講釈が鬱陶しいのですが、
私もへぎ蕎麦が大好物ですので、
まあ、そこはうまく受け流していました。

 

居酒屋にて

そんな堅物親父も順調に老境に達し、
私も順調におっさんに。

昨年、雪が降る季節、
二人で居酒屋に行きました。

新潟長岡の冬は、
ブラブラと気軽に飲みに行けるような
雰囲気ではありません。

もはや雪国の冬では「歩行」というものは無理。

だから、どこへ行くにも車で移動です。

その時も、母の車で送り迎えを頼み、近所の居酒屋へ。

親父と二人で語り合いながら、
熱燗を何本か空けました。

その居酒屋の大きな窓から外を見ると、
雪が舞っています。

あの時の偏屈・堅物親父と一緒に
二人で雪見酒なんて、
ちょっと不思議でした。

相変わらず、
いまだに店員さんには
気難しいところもありますが、
多少は角も取れてきたように思います。

しかも、最近は
「男の料理教室」のようなものにも
通っているとのこと。

腕前はかなり怪しげですが、
親父もいろいろと
心境の変化があったのかもしれません。

これから孫も増えることだし、
ますますドタバタとして、二人でこんな風に
飲みに行く機会も減ってしまうかもしれませんが、
まあ、なんとなく感慨深いものがありました。

 

ということで、親父と外食の思い出です。

実は私のプチ自分史では、あまり親父が出てきません。

なので、今回記憶を辿ったら
親父との思い出で一番強烈だったのが、
外食の風景だったというわけです。

 

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