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私は漫画家の藤子不二雄さんの大ファンです。

特に藤子・F・不二雄さんの大ファン
(ご存知ない方のために一応お伝えすると
藤子不二雄さんは二人の漫画家で、
もうお一方は「藤子不二雄A」さんです)。

小学生の頃から『オバケのQ太郎』、
『パーマン』、『21エモン』、
『ドラえもん』、『キテレツ大百科』、
『エスパー魔美』、『T・Pぼん』などを
繰り返し何度も読みました。

主に児童向けの漫画で
一躍国民的(国際的)漫画家として
有名な藤子・F・不二雄さんですが、
実はちょっと大人向けのSF作品でも
かなりの佳作があります。

 

そのSF短編の中に、
子供の頃に読んだ時は
あまりピンと来なかったのですが、
大人になって改めて読み返した時、
その内容に恐怖したものがあります。

それがSF短編『ある日……』です。

 

SF作家の星新一さんの
ショート・ショートのように
オチに作者の真意が込められている作品ですので、
ここでは詳細を述べませんが、
このブログ記事の終わりに概要を付けておきます。

もし気になる方がいらっしゃったら、
読んでみてください。
ただ一応、オチの部分は伏せてあります。

 

さて、この短編で私が恐怖したのは、
そのテーマである「核(戦争)による日常の喪失」です。

呆気ないほどに
人々の生活は核と戦争によって喪失する。

今私たちを取り巻くすべての日常と、
その幸せがなくなってしまう。

『プツン』とこれまで当たり前のように
連続していた日常が喪失してしまう。

そんな恐怖を描いた短編です。

 

正直に言うと、
核投下後の惨たらしい惨状を
私は想像することもできません。

広島の平和記念資料館に行っても、
体験者の方のお話を伺っても、
あのあまりの惨たらしさは
私の思考を停止させてしまいます。

私の脳みそは
絶対について行けなくなってしまうのです。

ですが、
日常の喪失の恐怖だけはありありと
想像できてしまいます。

 

ある日、プツンと連続していた生活が
途切れてしまう恐怖。

保育園に行って送り迎えすることも。

息子と公園でキャッチボールすることも。

子供たちと小学校の校庭を走ることも。

お腹の赤ちゃんに話しかけることも。

妻と二人で街を散歩することも。

その全部が一瞬でなくなってしまう恐怖だけは
ありありと想像できてしまいます。

 

そんなのだけは絶対にご免です。

絶対に戻ってこない大切な日常が、
プツンと途切れてしまうのだけはご免です。

 

今日は8月6日です。

今朝、私は藤子・F・不二雄さんの短編を思い出し、
改めてその恐怖を想像してしまいました。

 

 

【SF短編『ある日……』の概要】

アマチュアの映画製作サークルのメンバーが、
それぞれ自慢の映像作品を持ち寄って上映会を開きます。
それぞれが趣向を凝らした作品を持ち寄って
品評しあうのですが、
ある青年の持ってきた作品だけは、
メンバーの誰も理解できない。

綺麗な街並み、日常的な生活の風景、
そういったものを丁寧に撮ってはいるものの、
それが突然プツリと途切れるような終わり方をしています。

メンバーは「だから?」ということになるのですが、
そこでその青年が唐突に熱弁を振るい始めます。

世界中にどれくらいの核が保有されているのか、
その核に万が一があったら、
すべての日常はプツリと途切れてしまうんだ、と。
それを表現したのだ、と。

(そして、ラストに続くわけですが、
そのオチも核の恐怖を表しているものですので、
ぜひご一読ください)

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