最近の私は「自分がつくったものを食べたくない症候群」。
とにかく、自分がつくったものがイヤです。
妻も子供たちも、一応は「おいしい」と言ってくれるのですが、自分自身まったく晴れない気持ち……。
とにかくつくっている途中から、飽きてきて、なぜか食べた気になって、家族のために盛り付けている最中にはすでに食べる気がゼロ。
このままで行くと、私は映画『マシニスト』のクリスチャン・ベールのように激やせしてしまいそうです(ウソですが)。
で、昨日、年明けからずっとダウンしていた妻が本当に久しぶりに夕食をつくってくれました。
そして、一緒の食卓で食事をとることができました。
「……うまい!」
何が特別ってわけではないですし、妻の体調はまだ万全ではないので、以前のようには行きませんが、人様がつくってくれる料理にこれほどまでに飢えていた自分に気がついたわけです。
いったい私は何に飢えていたのかな?
……たぶんですが、料理を通した夫婦の日常のコミュニケーションに飢えていたのかもしれません。
妻はダウンしてから一人で食事をとっていて、食卓はいつも私と子供たちだけ。
子供たちはいつもお腹を減らせて学校や保育園から帰ってきます。
だから、季節の食材だろうが、工夫した調理方法だろうが、一切お構いなしにパクパクおいしいおいしいと食べてくれます。
一方、妻がいた食卓では、食材選びの成功や失敗、スーパー毎の食材の質の差、おいしい料理や失敗しちゃった料理、などの話題を通して、いろいろな会話をしながら食べていました。
早い話が、料理がおいしかろうが失敗しようが、どちらにしても会話のタネになって、私を満足させていたのかもしれません。
もちろん子供たちと私だけの食卓でも、会話はふんだんにあります。
今日の出来事を話したくてしょうがない二人の子供たちは、お互いの会話にかぶせて話し始めるので「○○が今話しているんだよー!」という感じで騒々しいは騒々しいです。
でも……。
やっぱり、料理を通したいろいろな話を妻としたかったんだなあ、と気付いたというわけです。
……。……。
ってか、要するに妻と話したかっただけじゃね……。
○○症候群とか適当なこと言ってんじゃねーよ。
……。……。
つまりは、タダのさびしんぼ親父だったという、いい歳こいた気持ちの悪さ……。
うん!自分で書いていて確かな気持ち悪さだ!いいぞ、おれ!
ということで、明日からまた料理を頑張るぞ!(なんじゃそりゃ)