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5年前の地震のその時、私はサラリーマンとして自席で端末を打っていました。

年度末のちょっと慌ただしい本当に普通の午後でした。

そんな中、椅子の下からドスンと突き上げがあった後、大きな揺れに。

フロア内は騒然としてみんなすぐに机の下に避難しました。

 

揺れも収まってしばらくしたら、区の避難場所に指定されている公園へ避難を命じられました。

公園は近隣の大学から避難してきた学生でごった返した状態に。

そして、何もすることのないまま数十分が経過しました。

 

その間に3日前から産休に入っていた身重の妻からメールがあり、無事であること、長男の保育園にタクシーで向かっていることを知ります。

日本橋の大きな書店にいた妻は地震後すぐさま外へ出たためタクシーを拾えたとのこと。

タクシーの中から見ているとあれよあれよと言う間にタクシー待ちの行列ができあがっていったということでした。

その後、保育園に無事到着した妻は息子に会えて泣いてしまったそうです。

地震後しばらくの間、息子(当時2歳)は「お母さんが泣いてたよ、なんでかな~」と言っていました。

 

何はともあれ、妻と息子とお腹の赤ちゃんの無事を知った私はかなり安心することができました

総務の人が拡声器で帰社命令を出したので取りあえず社に戻り、ほどなく任意退社が可能になります。

とは言え、地下鉄が不通になっていることはその時点で知っていましたので、しばらく社に残りフロアに用意されたテレビで報道番組を観ていました。

 

テレビでは一台の取り残された軽ワゴン車に津波が迫る様子が映し出されていたり、石油コンビナートの火災について報じられたりしていました。

 

本当に帰ることができるのか分からないまま、社のフロアからは一人また一人と帰宅していきました。

そして、だいたい半分以下の人数になったくらいの頃、地下鉄の復旧の目処がまったくわからないことや駅の混雑状態を報道で見たことから、徒歩で帰宅することに決めます。

わが家まで8キロあまり。道は熟知していました。

外に出るとあたりはすでに暗くなりかけていて、地下鉄の駅周辺には人が溜まっていました。

 

歩道も普段と違う感じで混みあっていて、目についたのがプリントアウトした地図を片手に持って歩いている人たちでした。

広域の地図をプリントアウトしてしまい、キョロキョロしながら歩いているグループもいくつか見受けました。

 

わが家へは靖国神社を抜けて日本武道館あたりから皇居の東側に抜けていくルートだったのですが、途中九段会館の横を通った時、開け放たれた真っ暗な窓のカーテンが外に向けて翻っているのが見えました。

皇居の東側の内堀通りは人も車も大混雑状態で、人の流れは急に悪くなり、車もまったく動いていないような状態でした。

救急車のサイレンの音が一か所に留まったままでまったく動いていませんでした。

 

その後、私は大手門の手前あたりで左に折れて、人のほとんどいない裏通りを歩いていたのですが、並行する永代通りを眺めると、人の渋滞が黒く続いたままでした。

裏通りではお弁当が大量に入った袋を下げてビルに戻っていく人を何人も見ました。コンビニのお弁当コーナーもすでに空っぽでした。

そのあたりでコーヒーを買って小休止したのですが、両側をビルで挟まれているその通りでもしも余震があったら窓ガラスが降り注ぐのだろうと思いながらコーヒーを飲んでいました。

そして、日本橋の北側たもとの路地から出て日本橋を南方向に渡り、さらに裏道を歩いて永代橋を目指しました。

永代橋は隅田川に掛かる橋で、それまでの運河の小さな橋を渡った時には感じなかった緊張感を覚えました。

「もしも永代橋の真ん中で余震が起こったら、どうなるのだろう」

そんな思いで、相変わらずの人混みで遅々としている橋の歩道を歩いていました。

 

そして2.5時間ほど経った8時過ぎに家に到着。

妻は3月でまだ寒いのに「余震が怖いから」と家中のドアを開けて待っていました。

 

妻とのやり取りは携帯のSMSを使っていのですが、途中でやり取りすることができなくなり、emailを使って連絡を取り合っていました。

 

その日は報道を見てから、家族で服を着替えず眠りました。

 

翌日の土曜日、私は仕事でイベントがあり、その担当をしていたので出勤しなくてはいけませんでした。地下鉄は臨時ダイヤでしたが、すでに復旧していました。

今思えば、そのイベントを中止にしていなかったのは、その時首都圏で働いている私にはこの震災が後々まで続く未曾有の大災害になるという意識が希薄だったせいかもしれません。

イベントの参加者は申し込みのおよそ4分の1程度。

でも、明るい内容のそのイベントがその時点で開催されていることに主催者側の私も参加者の方もほとんど違和感はありませんでした。

その後、数日待たずして被害の状況がつぶさに分かってきた後、周辺が俄かに「自粛」の嵐のようになっていくというタイムラグがあったことを憶えています。

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今朝のニュースを息子と娘と見ていて、二人は唖然として画面に釘付けになっていました。

娘から「これは『今』のお話?」と質問され、映し出されているあまりに日常からかけ離れているその状況が現代の日本のどこかで起こったことだとは思えなかったようです。

そして、娘には生まれる2か月前のことだと答えたら、娘も息子も二人とも文字通り絶句していました。

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今日で5年が経ちました。私にとっては自分の家族だけを見つめてきた5年間でした。

そして、これからもずっと自分の大切な家族をしっかりと見つめていきたいと思うのです。

これが偽らない私の今日の気持ちです。

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