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毎日毎日毎日毎日、家事に終わりはありません。

洗濯、干す、畳む、しまう、着る、汚す、そしてまた洗濯……。

料理、食べる、洗う、しまう、冷蔵庫を見る、そしてまた料理……。

掃除、汚す、掃除、汚す、掃除、汚す……。

……まるで賽の河原ですね。

 

生きている限り絶対になくならないこの家事。

いつか家事専用ロボットが各家庭に普及するその日まで、終わりはありません(マジで今後のロボット工学に期待しています)。

 

と言いつつ、私自身、最近そんな家事が急速に楽になったことに気づきました。

今年の1月から妻がダウンしてしまい、私は現在100%すべての家事と育児を行っています(関連記事「親子のタスクフォース」)。

最初の1ヶ月くらいは悲壮感が漂う中で歯を食いしばって頑張って、途中で嫌になりながらもやっていたのですが、今は何だかスル~とできている自分がいます。

別に毎日の洗濯を1週間に1回にしたわけでも、料理が下手だからと言ってすべてをレトルトにしたわけでもありません。

むしろできる料理の数は増えましたし、洗濯も掃除も1日1回のペースは崩していません。

 

では、何が変わって、私の家事が楽になったのかと言うと。

ひとえに「自分が主体となり日常化・習慣化できた」からです。

 

つまり、「当たり前」にできるようになったというわけです。

基本的に人は当たり前のことにあまりストレスを感じることはないと思います。

例えば、息をするのにストレスを感じる人はいないでしょうし、箸の上げ下ろしが面倒くさくてしょうがないと言う人もいないわけです。

 

そして、さらに重要なポイントとしてあるのは「主体的に」という部分です。

私は、かつても今もよく人からイクメンとかカジメンとか、いい旦那さんという言われ方をします(別に全然そんな言われ方を望んでいませんが……)。

ただ、実はそんな段階が、一番ストレスが多かったです。

そのストレスの原因は、そこに主体性がなかったからだと思います。

 

私と家事の関係は以下のような変遷を辿ってきました。

1)家事お手伝い期(主体は妻、その妻のお手伝い的な感じ)

2)イクメン・カジメン期(積極的に家事と育児の分担、やっている自分に酔っている感じ)

3)主夫期(今現在、日常で当たり前だからやるだけ、淡々とやる感じ)

この中で一番ストレスに感じていたのは、2のイクメン・カジメン期です。

要するにイクメンもカジメンも言ってしまえば、結局のところ育児でも家事でも主体ではないわけです。

 

1のお手伝い期も主体ではありませんが、借りてきた猫的につつましい心持ちでやっていたので、あまりストレスを感じませんでした。

一方、イクメン・カジメン期は「家事も育児も手伝う俺ってサイコー!」という自己満足状態で、妻からちょっと家事のことをとやかく言われるとムカッとしたり、「だったらもうやらないよ」という気持ちになったりしていました。

別に主体ではないので、自分が欠けても家の中の家事や育児が回るので、こんな逃げの発想も可能だったのだと思います。

 

「だからイクメンやカジメンがいけない」と言うつもりはありませんが、あくまで主体ではないので、その対外的なイメージ=ファッション的な要素に飽きたらやらないということもできてしまうのが微妙なところです。

 

育児も家事も別にいいお父さんを演じるためのファッションではありませんので、家族の中の必然なこととして、ただやるだけです。

 

ということで、男の家事がどうなったらストレスが少なくなるのかというと、主体的に当たり前のことにしてしまう、というのが一番いいのではないかと思う次第です。

 

……とは言え、やっぱり家事は嫌いですけどね(その点、育児は楽しいからいいんですけど)。

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