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子育て中の親御さんであれば、
お子さんの無垢な一言のためにその場からダッシュで逃げ出したい、
なんてご経験は一つや二つは必ずあるのではないでしょうか。

ご多分に漏れずわが家でもそんな経験が多々あります。

エピソード1 お相撲さん

息子が2歳くらいの時、
わが家はリアルなお相撲さんが
街中を普通に闊歩する地域に住んでいました。

信号待ちをしていると鬢付け油の香りが漂ってきて、
ふと振り返ると巨漢のお相撲さんがいる、なんて感じです。

当時、息子は相撲が好きで、TVでもたまに観ていました。
そしてそんなTVで観ているお相撲さんを間近で見ると、
「お相撲さん!」と言って喜んでいたわけです。

ですが、2歳児がお相撲さんをお相撲さんとして認識するのは、
その大きな体躯であり、
もっとも重要な要素である「髷を結っていること」については
抜けていたのでした。

するとどうなるのか……。

男性で豊かな体型の方を見ると
老若問わず「お相撲さん!」と言ってはしゃぐわけです……。
(お相撲さんはTシャツにスウェットパンツなどの時も多いので、
服装の「浴衣」は判別の材料にならないのです)

無論、親としては都度小声で「じゃないよ!」と訂正するのですが……。
今度はそういった方を見ると「お相撲さん!……じゃない!」とはしゃぎ、
嫌味の最上級形のようになってしまうのでした。

ということで、親である私はただただバギーを足早に押して、
その場を立ち去ることしかできないのでした。

エピソード2 優先席

ある日の地下鉄の中でのこと。
車内は軽い込み具合で、
娘と私は優先席の前の空いていたスペースに立ちます。
先日、優先席のステッカーにあるピクトグラム(絵文字)の
意味について教えたばかりです。

優先席に座られている方々でちょっと気の毒なのは、
外見からはそのピクトグラムに当て嵌まるのか否かが分からない方。

その時も優先席にはお年寄り、バギーと一緒の赤ちゃん連れのお母さん、
壮年のスーツ姿の男性、大学生風の男性などの方が座られていました。

そこで、突如娘が先日のピクトグラムのおさらいを声高に始めました。
「ここは~、おじいさんとか~、おばあさんとか~、
病気の人とか~、あとなんだっけ?
あ、そっか、赤ちゃんとお母さんが座る場所なんだよねー!」
って感じです。

目を伏せるか、居眠りを始めたのは
優先席に座っているスーツ姿の男性と大学生風の男性。

娘は「そしたら席、替わるんだよねー」と畳みかけます。

まるで親の私が言わせているかのような雰囲気が漂いつつ、
私は早く降車駅が来ることを祈りつつ、
微妙な空気になったのでした。
(その時目を伏せた男性2人が
本当に優先席を必要としているか否かが分かりませんので、
親としては最高に居づらかったというわけです)

エピソード3 酒屋さん

下町の酒屋さんは、
樽を置いたり酒のケースを積んだりした立ち飲みスペースが
付随していることが多いです。

そもそも居酒屋の発祥が
江戸時代に酒屋がその軒先で酒を飲ませた商売形態が
ルーツと言われていますので、
下町ではそんな古き良き風習(酒飲みにとっては)が
残っているのかもしれません。

そんな酒屋さんで娘と買い物をした時のこと。

娘はその酒屋さんにとてもかわいがってもらっていますので、
ひとしきり愛敬を振りまいた後、
会計中の私をよそに一人で店を出て行こうとしています。

「一人で出て行っちゃダメだよ!」と言う私。

振り返った娘は
「どうしてダメなの?酔っ払いがいるから~?
と大声で一言。

「酔っ払い」というものに対して、
一切の愛が感じられない痛烈な響き……。
(イヤイヤイヤ、君のお父さんも今手に持っているお酒を飲めば、
その「酔っ払い」の一員でしょ、という突っ込みが脳内で空転しました)

狭いお店です。
店の中にも外にもまる聞こえです。
軒先で飲んでいる人も、店内で酒屋さん相手に飲んでいる人も、
酒屋のオジサンもオバサンもその場にいる全員が
その一言で複雑なショッパイ顔になってしまったのでした。
(まるで私が常日頃「酔っ払いには気を付けるんだよ」なんて
言っているかのような雰囲気です)

誰か一人でも、たった一人でも
笑ってくれたらこんなに気が楽なことはないのに、
と思いつつ、娘に気の利いた切り返しもできぬまま
足早に酒屋さんを後にするのでした……。

無垢で残酷な言葉の魅力

「空気」を読むことの必要性

さて、子供はこんな具合に「空気」を
読まずに直球の無垢で残酷な言葉を投げかけてきます。

成長するにつれて、
だんだんと「空気」、「場」、「行間」などを
読めるようになってくるわけですが
(現に一年坊主の息子は
こういった突飛な発言が少なくなってきています)、
ただこれってどうなんでしょう。

少し考える余地はありそうです。

もちろん、一般的な生活を過ごすにあたって
「空気」を読めないようでは、本人が困ることも多いでしょう。

特に官僚制を基本とする組織(行政組織に限らず、会社組織も含む)においては、
「空気」が読めるか否かは、
その組織を生き抜きうまく泳ぐための必須のスキルでもあります。

「空気」を読まないことの魅力

しかし、いざ私の周り見ると、
人を惹きつける魅力を持っていたり、
リーダーシップを発揮したりする人は、
得てして「空気」を読み込んでいないように思うのです。

そういった人は、「空気」をまったく読んでいないわけではなく、
読み込みすぎることによって自分の行動に規制をかけてしまう、
というようなことが少ないように見えます。

もちろん誰でもリーダーや魅力的な人物になれるわけでもありませんので、
天衣無縫な発言や行動が唯一無二の素晴らしいものと言う気はありませんが、
「空気」を読まないということが
独自の魅力を持っていることは否定できないと思います。

つまり、今回のわが家のエピソードのような子供の無垢で残酷な発言に、
もしも面白く魅力的な要素があるということであれば、
私たちの中にそういった「空気を読まないこと」に対して
魅力を感じてしまう憧れの様なもの
があるのかもしれません。

 

ということで、
子育てにおいて
「空気を読むこと」

「天衣無縫の魅力」
は天秤にかけられることになり、
日々私を悩ませるということになるわけです……。

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