Pocket

現在、帰省中です(@新潟県長岡市)。

ここ何回かのブログでは、今回の帰省をいろいろな切り口からご紹介していますが、今回は“家事”のコトです。

 

私は自他ともに認める家事嫌いです。

家事嫌いのことは以前のブログ記事『家事嫌いの心構え』でもご紹介いたしました。

普段、私は家事がイヤでイヤで本当にしょうがないのですが、そこは核家族で夫婦共働きの悲しさで、やらなきゃ絶対に誰も肩代わりしてくれません。

試しに家事を貯め込んでみると、その面倒臭さはサボっていた仕事量以上の威力で襲い掛かってきますので、まったくしょうがなく日々こなしています(人はそのことを聞くと、たいてい褒めてくれるのですが、別に私はキレイ好きでもマメでもなく内情はそういったところにあります)。

 

という私なのですが、実家に帰省すると、すべての家事から解放されます。

「いやいや、実家でも頑張れよ、親孝行しろよ」と思われるかもしれませんが、母は昔ながらの考えからか私や父に家事を頼んでくることをしません。

かなりチャキチャキに何でもこなすタイプなので、私や父が不器用に自分のテリトリーに参入してくるくらいなら、自分のペースでこなしたいと思っているのかもしれません。

ということで、大嫌いな家事から解放された私は「ウッヒョー、ラッキー!サンキュー、母ちゃん!」ということになるかと思いきや、残念ながら事はそう簡単には行きません。

朝食を食べ終わった後。

洗濯機の洗濯終了の音。

乾燥後の取り込まれた衣服の山。

流し台にある食器。

などの家事関連のコトに遭遇すると、条件反射的に何かしなくてはいけない気持ちになってしまうのです。

気が付くと、風呂の準備ができていて、風呂から上がると食事と食卓の用意ができていて、朝起きると洗濯が終わっていて、食後のコーヒーを飲んでいる間に洗濯物が畳まれている状態。

これは家事嫌いの天国なはずなのに、何とも座りの悪い感じがしてしまうのです。

 

この家事という呪縛から解放された環境を謳歌できない自分に本当に忸怩たる思いがします。

それが条件反射なのか、はたまた強迫観念なのかは不明ですが、ベルの音でヨダレを垂らしてしまうワンちゃん同様に私の気持ちは“家事”のコトに触れるとソワソワと落ち着かない気持ちになってしまうのでした。

 

そして、極めつけは子供たちの面倒まで母が見てくれると、もはや私に存在価値はなくなり、腑抜け状態で新聞を眺めるようなことしかすることがなくなってしまうのでした……。

 

ということで、“家事嫌い”の名に恥じぬよう、いつかこの実家の状況を謳歌するために気持ちも新たにするのでした。

(え?!そんな回りくどい事を考える前に四の五の言わずに母ちゃんを手伝えよ!って思われますか?そうですか、そうですよね、いやわかっちゃいるんですが……)

Pocket