Pocket

当たり前のことですが、生活には音があります。

料理の音、洗濯の音、掃除の音、テレビの音。

様々なシーンで音が出てくるわけですが、生活の中でとりわけ大きな音が“子育ての音”です。

笑い声、喧嘩する声、物を倒す音、子供たちを叱る親の声。

静かなのは子供たちが寝ている時くらい。

実際のところ、“子育ての音”ほど騒々しい音はありません。

それがいいか悪いか、好むか好まざるかは一切関係なく、子供がいる以上必ず音が出てきます。

 

先日のブログ記事『孫のいない実家の朝』でも、子供たちの喧騒がないことについて書きましたが、日々“子育ての音”に囲まれていると、いざその音がないと寂しさや違和感を覚えてしまうのです。

 

翻って、子育ての終わった家、つまり子供が巣立った家は圧倒的に音の数が減るはずです。

要するに今帰省している実家のことなのですが、子供がいないと本当に静かです。

その寂しい静けさを紛らわすためなのか、無駄にテレビが点けられて、仮初めの喧騒を作り出しています。

“子育ての音”がなくなった音の穴を埋めてくれるのが、テレビなのかもしれません。

 

年に何度かある孫たちの帰省が、“子育ての音”がなくなった家に再び子供たちの喧騒をもたらしてくれるわけですが、残念ながらその喧騒は「イベント」であり、「日常」ではありません。

いつも帰省が終わり実家を後にする時、一時の“子育ての音”が過ぎ去った後の静けさのことを考えてしまいます。

再びテレビが作り出すまがい物の喧騒で穴を埋める生活になるのかと思うと、ちょっとかわいそうな気もしたりするのです。

と言っても、それについては何かしてあげられるわけでもありませんので、定期的に帰省してあげることくらいしかできません。

 

わが家もいつかその“子育ての音”が終わる日が来るかと思うと、かなり気も早いのですが、寂しい気がするのです。

生活の音の中でもっともうるさく騒々しいのが“子育ての音”なのかもしれませんが、もっとも愛おしく喜びに満ちているのがその“子育ての音”なのかもしれません(と言いつつ、子供たちが言うことを聞かない時、そんなことなんて忘れて怒鳴り声をあげてしまいます。“子育ての音”をひと際うるさくしているのは実は親である私なのかもしれません……)。

Pocket