Pocket

昨日、久しぶりに実家に帰ってきました。

普段の帰省は、孫と祖父母を会わせることがメインテーマです。

そのため、孫の歓心を得るためにじいちゃんとばあちゃんが奮闘し、子供たちの歓声や笑い声、買ってもらったばかりのおもちゃを取りあって喧嘩したりと、ドタバタな雰囲気に包まれます。

が、今回は母と一緒に行う「生前整理」や「親の家の片づけ」が目的の一つとなっていますので、もしかすると部屋をひっくり返すような整理や片付けが始まってしまう可能性があります(もちろんこの暑さの中ですので、そんな肉体労働はなんとしてでも阻止したいところですが……)。

息子は埃アレルギーですので、もしもそんな中にいたら折角の夏休みの帰省が台無しになりかねません。

そこで今回は私が先行して実家に乗り込み、妻と子供たちは後半に合流することにしたというわけです。

 

さて、私一人だけが実家に乗り込むというのは、ちょっと珍しい事なので、今朝は何だか変な雰囲気でした。

なんて言ったって、静かすぎます。

朝起きて朝食を取り、東京から持ってきた仕事をいくつかこなし、実家の状況を確認したりしたのですが、とても静かな状況で淡々とこなした感じです。

子供たちがいないとイマイチ場違いな感じ。

私にとって実家に帰省するということは、子供たちとセットになっているイベントなので、私一人が実家をウロウロするということに違和感があるようです。

 

かつて生活をしていた実家ではありますが、改めて父と母とは別の生活をしているんだなあ、ということに気づかされます。

孫と祖父母の遭遇イベントのための実家。

季節的なイベントのための実家。

年中行事のための実家。

そして、「親の家の片づけ」のための実家。

どれも“非日常”のイベントの実家です。

 

かつて一緒に過ごした家族であることは間違いないのに、今では“非日常”の家族になっているのが、実家=親の家なのかもしれません。

「親の家の片づけ」が、かくも難しく、気にはなっているのになかなかできないことになってしまっているのは、この実家との微妙な距離感が原因の一つなのかもしれません。

遠慮や弁(わきま)えがともすれば希薄になってしまう実家で、何かの行動を取る時にはまずはそこに住む方(=ご両親)の状況をできる限り想像し、把握する必要があるのだ、ということを改めて実感したのでした。

 

ということを、静かな静かな実家の朝に感じたというわけです。

(私が実家に戻る度に毎度閉口するのは、出てくる食事の量。実家を出た高校生の頃に食べていた、バカみたいな量が毎度用意されます。いや、もうあなた方の子供はいいおっさんなんだよ……、と思いつつ頑張って食べ続けるちょっと親孝行な私です……)

Pocket