Pocket

唐突ですが、世の中って気づかない方がいいことって結構あると思いませんか。

私が以前書いたデジタル終活(パソコンなどを終活の対象として整理すること)のブログ記事『恥・羞恥心・タブーへの対処』も、言ってみれば残されるご家族にとって気づかなくて(知らなくて)いいことがあるので、そういったものは早目に処分しましょう、という内容です。

世の中には気づいてしまうことによって、葛藤や悩みや落胆などネガティブな気持ちに襲われてしまう、そんなことが多いと思います。

 

よく私が思うのは、映画『マトリックス(1999)』の主人公ネオは本当に幸せなのか、ということです。

物語は、人間が暮らしている世界が実はコンピューターによって作られたバーチャルリアリティだった、というところから始まります。

主人公のネオはそのことに“気づいてしまい”、荒廃した現実の世界とバーチャルリアリティの世界を行き来して、コンピューターと死闘を繰り広げるというものです。

 

コンピューターが作り出すバーチャルリアリティは今の世界とそっくりにプログラミングされています。

一方、現実の世界はというと下水の中のように薄暗く、着ているものもボロばかり、食べ物だってまずそうに描かれています。

人類の多くはバーチャルリアリティの世界だけしか知らず死んでいきます。

何の疑問もなく、幸せに包まれ(ているかどうかはその人次第ですが……)、一生を終えるのです。

ところが、そのことに気づいてしまった主人公ネオはボロをまとい、下水の中で闘い続けなくてはいけない宿命を背負います。

もしかしたら、気づかなかった方が幸せなんじゃないだろうか、と思うのはそういうところです。

 

あることに気づいてしまった人間は、それが常識として凝り固まっている場所にはもう二度と戻ることはできません。

常識として凝り固まっている場所は、安心感や連帯感があり、気づきさえしなければ安心・安全に過ごすことができます。

気づいてしまった人間は、そんな安心で安全な場所から孤独で荒涼とした場所に放逐され、時には様々な摩擦や戦うことも余儀なくされるかもしれません。

 

ママ友グループ、会社の派閥、サークル仲間、こういったところに所属していると安心感や連帯感があります。

しかし、もし自分を殺さなくてはいけない、自分らしくいられない可能性がある場所ならば、それに気づいてしまい、そこから飛び出してしまうことも一つの考え方かもしれません。

 

ただし、間違いなく、気づかない方が楽です。

気づいたほうの苦労が確実に多いはずです。

ということで、それに“気づいてしまったこと”を不幸と捉えるか、自分に課せられた挑戦と取るか、一体どちらがいいのでしょうか。

 

と、こんなことをあるメディアで目にした「熱狂した盲目・盲信的な集団」を見ていてふと思うのでした(ただでさえ暑いのに、こんな暑苦しいことを想像して余計汗が出ますね……)。

Pocket