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今回は「親の家の片づけ」プロジェクトを実施するにあたって、どのような考え方を取り入れたのかをご紹介します。

◆どうして捨てなきゃいけないの?

「親の家の片づけ」と言いつつ、前回のブログでは片づけの目的や目標に「モノを捨てる」や「モノを整理する」という方法、言葉をあえて入れませんでした。

整理や収納に関心がある方、得意な方でしたら、当然「片づけ」という言葉から「捨てる」、「整理する」ことを連想するはずです。

しかし、親の家の片づけを考え始めた私の頭の中では、なぜ親がそのモノを選び、現在も親の生活の一部になっているのか、その歴史を知りたいという欲求が強くなっていました。そのため、「捨てる」、「整理する」という行為はひとまずおいておくことにしたのです。

「捨てる」に対する抵抗感

素直に考えると、埃をかぶっているモノは長い間使われていないからそうなっているわけで、それが無くなったところで親の生活にすぐに影響を及ぼすものではありません。

ただ、私はそのモノが持つ歴史を知らないまま、簡単に捨てることはしたくありませんでした。

どんなモノにも所有者の意思が反映されている

実家は、離れて暮らす私から見ると、不可思議なモノのオンパレードでした。

昭和の書類群

昭和の書籍・書類群

・山と積まれたCDROM(タイトルがないため何が保存されているのか全然分かりません)
・仕事時代の関連書籍や書類(昭和な装丁がボロボロ)
・床の間の日本人形(夜見るとちょっと不気味です)
・茶箪笥の矢立や香炉(高価なものなのか安いのか不明)
・ぐい飲みの数々(一品ものばかりが山のように)
・玄関にあるオリエンタルな仏像(明らかに日本の仏像とは趣を異にしています)
・キレイに畳まれた大量のスーパーの袋(使い切ることは永遠になさそうです)

傍から見ればなぜ家にあるのか疑問なモノたちも、今実際に家にあるということは、間違いなく何らかのストーリーでやってきて、溜めこまれたものであることに違いありません。

そして、そのモノたちはひとつ残らず、何らかの理由で実家に落ち着いたモノたちなのです。

「ストーリーを発見する」方が「捨てる」よりも重要

となると、実家にあるモノはひとつひとつが親の選択、意思の賜物ですので、一瞬の「捨てる」という行為で、それらのストーリーと別れるわけにはいかないと思いました。

意思を発見するためには親へのインタビューが必須です。
「親の家の片づけ」プロジェクトには親へのインタビューというタスクが必要不可欠なことが判明しました。

次回はプロジェクトをさらに先に進めるために私が選んだ手法「自分史」との出会いについてご紹介します。

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